きょうも歯科医はゆく。
信長の史跡めぐり その2
最後の城 安土城
長の遺品はほとんど残っていません。
安土城も燃えて、城跡だけです。
清洲城、小牧山城、岐阜城などは再建されていますが、実際のものとはだいぶ違うようです。

国時代、他の武将たちは本拠地を変えず、領土を増やすことを考えました。しかし、信長は天下統一のために地の利を考え、居城を次々に変えていきました。

長が最後に創った安土城は、常識をくつがえすものだったようです。
当時の城は山城で、普段は城山のふもとに住んでいました。戦時に使用するだけでしたので、城と言っても粗末だったようです。

土城は豪華絢爛、贅をつくした城でした。
しかし、信長の日常は質素で、決して贅沢に溺れていたわけではありません。
目的があったようです。

長は天主閣に住み、豪華な城は権力の象徴だったようです。また、城内には自分を祀った神社を創り、自分自身を神格化し、絶対服従を誓わせたのだろう。そして、天皇のお住まいも創り、天下統一後、安土に遷都を考えていたようです。
<2006.10.11>

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