先日、急患で「歯を抜いてほしい」というおばあさんがやってきた。彼女の様子を見た途端、直感的に嫌な予感がした。問診票では既往歴はないことになっている。ところが話を聞いてみると、糖尿病だという。でも、本人は「たいしたことはない」と言っている。当然、飲んでいる薬などは持参してはいない。顔を見ると目が白く濁っているし、手足も冷えている。さらによく聞くとむくみも出ているという。診療室に案内すると、その途中で何度もスリッパがぬげたりしている。どうも、糖尿病はけっこう進んでおり、合併症もでているようだ。
一般に当地ではインシュリンの自己注射は嫌がられる。年配で戦後の麻薬乱用期を経験されている方は、ヒロポン中毒を想像されるし、中年の方はなぜか注射嫌いが多い。それに「問題なことは先送り」という当地の気質も相まって、なかなか話は複雑になってしまう。 早速、おばあさんにこの状態で麻酔をすることの危険性を説明する。 すると「でも、先生!私はショックなんか1回も起こしたことはないよ」と言う。 「ショックであの世に逝ったら1回こっきりの命だからね」 「でも、先生の治療で死ねたら本望だ!」 しかし、老健証には、近所の歯科医院の印が多数押してある。結局、その場ではどうにもならないことを悟ると、おばあさんは「先生が断るなら他所の歯医者へ行くわ!」と立ち上がりそのまま帰っていった(もちろん、一部負担金は踏み倒しである)。 最近では、これに近い患者さまが非常に多い。人間は概して都合のよいことに関心をよせるが、都合の悪いことに関しては目をつぶる傾向がある。これも度がすぎると、重大な結果を招くことがある。 先日、ある大きな街に行った時のことだが、駅で中年の女性が大きな声で話をしている。なんでも、「この前ある病院で検査をしたがその後、その病院へは行っていない。もし悪いことがあったらきっと病院から連絡があるはずだから」とのことである。しかし、このサイトをご覧の方に言いたい!「悪い結果ほど、病院から電話で結果を本人に伝えることはまずない!」のである。理由は簡単である。聞き違いがあるからである。 風邪をひいて薬を飲んで症状がおさまった。すると多くの方は薬の服用を止めると思う。同じように、高血圧や糖尿病などで薬を飲んでそれなりの正常値になると、服用を止めてしまう人が意外と多い。本人は「病気は治った」と確信している。このような患者さまは、問診をするとなかなかに手ごわい。 高血圧症の疑いのある方で実際に測定してみると180mmHgあったとする。 「この前、測ったときにはむしろ低いくらいだったよ」 「この前っていつごろですか?」 「ちょっと前だよ」 「ちょっとって?」 「5年くらい前かな?」 この会話をお読みのみなさんには、言っていることのおかしさは一目瞭然だろう。でも、おかしなことを言っている患者さまは、真剣におかしなことをいっているのである。中には“言った手前、引っ込みがつかなくなってがんばっているだけ”の人もいるかもしれない。でもこのようなことをおっしゃる方の多くは、本気で言っているのである。 このような患者さまに、別室でなぜ通常では考えられないおかしな考え方に至ったのかじっくり聞いてみると必ず、「正しい判断を乱す情報源」というものの存在が浮かんでくる。その多くが、無責任なうわさや身内や知り合いの非科学的な話であるが、最近ではテレビなどマスコミ情報を曲げて捉えている場合も少なくない。それに、もうひとつ気になることがある。それはこういった患者さまにほぼ共通して、かかりつけの医師や歯科医師を持たず、彼等を使い捨て製品のように頻繁に変えているという事実である。なかには、「予約の遅刻を注意されただけ」で診療所を変えた方もいらっしゃった。 昨今、医療従事者と患者さまとの関係は、段々と希薄になってゆく傾向にある。しかも、正常な判断を妨げる情報が世の中に溢れている。こういった状態の中で健康に生きるには、やはり専門的なアドバイスや相談が必須の条件になっている。こういう状況になってくると、かかりつけ医やかかりつけ歯科医師の果たす役割は大きいと思う。介護保険の仕事をしばらくしていたが、かかりつけ医との意思疎通がよければもう少し何とかなった、と思うようなことが1件や2件ではなかったと記憶している。 |
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| <2007.2.7> |
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