私の住んでいる町は、人口の四分の一以上が65歳以上の典型的な高齢者のマチである。子供のほとんどが町外へ出ているので、実際の高齢者人口の比率はもっと多いだろう。最近、遺産相続の話が患者さまの会話の中にも増えてきた。一昔前なら「生きている内にこのような話をするのは縁起が良くない!」と忌み嫌われたものであるが、最近では日常会話の中にけっこう出てくる。
ところでみなさんは「財産」と言うと何を連想されますか?当地では財産に関しては、非常に伝統的な考え方が高齢者の間では一般的である。やはり財産の王様は「土地と屋敷」であり、さらに商売をしている人にとっては「信用と暖簾(のれん)」である。ところが若い人たちの財産観は、これと相当違っている。私たちの年代では、まず財産の王様は「金融資産」である。過疎化の進む当地では、土地を売り出してもまずほとんど売れない。しかも土地の売買の仕組みが今ひとつ明朗ではないので、「買いたい人は高く買わされ」「売りたい人は買い叩かれる」というのが常態化している。私の診療所のそばにある医科の先生が、「土地を買いたい」といったら坪45万円といわれたのに対して、その隣の土地で老夫婦が病気療養のため引っ越すので土地を処分した時には、坪8万円であった。同じ土地でも5倍以上も開くことは、都会ではまずないことであるが田舎では珍しくない。それどころか土地が売れるだけいいものだ。 当地で売り出しになっている商業地ではまず半分は半年以内に売れない。ある不動産屋さんに言わせると、半年売れなければ条件を変えないと(更地にする、値下げするなど)、ほとんど今後も売れないそうだ。しかも「土地と屋敷」は持っているだけで税金が発生し、屋敷はメインテナンスに相当な費用がかかることも少なくない。特に築30年以上の建物は、資産価値がほとんどない上に、修理に多額の費用が必要である。私の古い診療所も毎年100万円以上もメインテナンス費用がかかっていた。 さらに「信用と暖簾」も、資産価値としては当地では相当アヤしい。ほとんどの地場企業は借金を背負っているし、その額は半端ではない。ある町の大きな水産加工場が経営不振になった時、そこのメインバンクである金融機関が倒産するのではないかというウワサがたって、ミニ取りつけ騒ぎがおきた。結局その金融機関は、これが原因で他の金融機関に合併されてしまった。しかも地場産業で将来有望な業種はほとんどないし、仮にあっても都市の会社の子会社がほとんどである。そのため下手に相続すると借金まみれになり、四苦八苦することは目に見えている。そういった会社でも、親の世代は「財産」と考えているので手がつけられない。 そんなわけだから「親の財産を積極的にほしい」という若い人が、少なくなった。よく私の親も言うのだが、「親の言うことを聞いたものに財産をやる」とか、「親の仕事を引き継いだ者に財産をやる」などと言っている経営者も少なくない。自分の大切な跡取りをコキ使っている経営者も多く、愛想をつかされて後継者が家を出て行く時に慌てるケースもある。だが「文句があるなら出てゆけ!」と日頃から口癖のようにいっている親に限って、今度は自分のプライドが許さないので決してハラを割って息子と話そうとしない。実は私の父もそうだった。そうなると実力のある者は町を離れ、能力の低い人が親の言いなりになる傾向が出てくる。 私の友人にも、「下手に親の言い分を聞いてガマンしていると、最近の老人は長生きをするので、親が死ぬ頃には俺も還暦を過ぎているかもしれない。おそらく家を出ると親は財産をオレによこさないかもしれないが、裁判で保留分を主張するとそれなりに現金で財産がくる。下手に処分できない土地や借金まみれの会社を背負うよりも、この方がよっぽど良い!」といっている者が、1人や2人ではなくいる。 この様な状況のなかで、例の「美田は残さず」という合言葉での消費である。周囲の世代からヒンシュクを買うことは目に見えているが、気がつかないのは残念ながら当の本人だけのようだ・・・・。ある患者さまがその1人で、なんでも土地を売ってその一部で車を買ったそうだ。ご自慢の外車を診療室越しに見せてもらった(というよりは私が見えるところにおいたと言った方が近いかもしれない)。私は外車には興味はないが、お世辞のひとつも言わなくてはいけないなと思うと、急に憂鬱になってしまった。 |
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| <2006.2.3> |
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