僻地に生きる歯科医
独学で作ったバリアフリー住宅
リアフリーということが叫ばれて久しいが、実際にバリアフリーとなるとなかなか思った様にコトが運ばない。設計士や役所は施設基準で考える。そのため、使う人に問題があってもOKということになる。施工業者になるとその差はもっと大きい。ある雑誌によると、バリアフリー診療所を役所の施設基準に則って作ったら、診療所は異常に広くしなくてはならなくなったし、おまけに固定資産税も予想以上にかかったそうだ。


当の行政官とバリアフリーの話をすると、本当にバリアフリーって何か知っているのか疑問に思ってしまうことも少なくない。実際に行政官に「あなたは実際にバリアフリーの病院が健康保険で採算がとれるか検討したことがあるんですか?もし、官庁の決めたバリアフリーの病院を作った場合、固定資産税がどれくらいアップするのかご存知ですか?」と聞いたら「全く考えたことはない」そうだ。まして、バリアフリーの関する諸費用が健康保険の点数算定の基準では一切考慮されていない(つまりタダで作らなくてはいけない)ことをどの行政官も知らなかった。役人と話をしていくうちにバリアフリーは医療機関にとっては「バリア不利」ではないかとついつい思ってしまう。

て、バリアフリーという言葉が一般的になる15年前に、ちょっとした興味深い住宅改造を長年連れ添った寝たきりの奥さんのためにした老人がいた。数部屋の仕切りを取り除き20畳ほどのワンルームにした。畳を取り除き、段差のないフローリングにした。この大きなワンルームにキッチン、ベット、トイレ、バスルームを置いた。部屋の真ん中にはあえて物を置かない。周りには簡単なリハビリの器具がある。天井の高さを下げ、蛍光灯を明るいものにした。暖房も大きなオイルヒーターがあり、外には大きな灯油タンク(500リットル)がある。そして灯油タンクより自動的にオイルヒーターに灯油が供給されているので、部屋は24時間一定の温度だ。

い窓から海が見える。当時、珍しかったコードレスホンも買った。これだけをこの老人が一人で雑誌を見たり、老人施設へ行ったりして考えたそうだ。この機能的な施設?を見た町の保健師があまりのすばらしさに思わず声を失ったそうだ。

はこの老人にこの改装のきっかけについて聞いてみた。老人はテレながらいった。
「私が軍隊から帰ってきた時、体をこわしてしばらく仕事をしないでいた。妻は、終戦後の生活の苦しい時代、私の治療費のためになれない行商をして支えてくれた。せめてものその恩返し」だそうだ。この老人は設計に際して体力が落ちつつある自分が出来ることを前提として作ったそうだ。

かし、この老人の家は役所のバリアフリーの基準からいうと若干の問題はあるそうだ。だが、この夫婦にとってはまさに使い勝手のよい「バリアフリーの住居」なのである。町の保健師たちは、この老人に敬意を表しながら「○○地区のバリアフリーの家」と言っている。
<2004.5.12>

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